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☆20代が考える「憲法」視点の「喫煙」と「嫌煙」


狭山で相続.遺言,法務の森法務行政書士事務所

 みなさんこんばんは。

久しぶりのご挨拶をするのはこのブログの特徴ですので、できたら足しげく更新情報をチェックしてみて下さい。

 さて、2020年東京オリンピック開催がいよいよ実感できるようになりましたね。

 実は、私の事務所のすぐ近くの霞が関カントリークラブが東京オリンピックの開催される予定なんです。

 父が最近、すごく安いクラブを買って数十年ぶりに練習をしています。その父が、霞が関カントリークラブでゴルフをする権利を手に入れました。

 抽選なので、「当たればいいね」程度に家族も思っていましたが、実際にその権利を手にしました。日ごろ、難病の母に代わって家事を行っているので、その行いが神様に届いたのかもしれませんね。

 さて、2020年東京オリンピックに向け、国会と行政は「原則飲食店での完全禁煙化」を進めていますね。

 この喫煙家と嫌煙家の権利の問題が問われますね。

今日は憲法の視点から、喫煙家の権利と嫌煙家の権利を考えてみます。

 まずは、例によって条文を参照します。日本国憲法第11条、12条、13条を参照します。

憲法11条

 国民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与えられる。

憲法12条

 このこの憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなくてはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

憲法13条

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。

以上が日本国憲法の支柱となる非常に重要な条文です。私のブログでは、しばしば条文を引用するのですが、これには意味があり、「初心忘るべからず」ということが法学にも言えることなんです。

成文法主義の日本においては全ての国民の権利義務及び司法、立法、行政の全体像を知るためには法を参照するのが基本です。その際に一つ覚えておくと便利なのが、歴史を知ることです。法制史をしらなければ、なぜその法が制定されたのかが明らかになるからです。解釈をする上で、その法がどのように運用されるべきかが明らかになるからです。

一休さんの謎かけで良く用いられる「この橋わたるべからず」というものですが、これも一つの取り決めで法です。

そのままの言葉を捉えるのなら謎ですよね。

そこで、どうしてその法ができたかを考えるのが解釈です。

木材で作成されているが故に、橋を渡ることが危険であることを注意喚起しているのであれば、意味が通ります。

一休宗純は、この文言を誤って解釈しています。別に「端」を渡るべからずという趣旨でこの条文が作られたわけではなかったわけです。

 このように、法を正しく解釈するためには立法目的とその背景を知ることが重要なのです。

 だから、法を解釈する場合には、まずは、法の最初に規定されている「目的や趣旨」を読むことが大切なんです。

 もう一つ例を挙げるのであれば、トイレの個室に「トイレットペーパー以外の物は決してながらないで下さい。」という文言をご覧になった方も多いと思います。

 これを文言そのままに捉えると「用を足すことができません。」なので、これもその文言が定められた趣旨とトイレの使用目的を考えれば、なんてことはない文言です。

 前置きが長くなりましたが、「タバコ」を巡る論争を憲法から考えてみたいと思います。

 憲法の下位規範であるところの法律では、成年者であればタバコを自由に吸うことができます。

 もし、憲法で、このようなタバコを吸うことや所持することを禁じていたらこのような法律はできようがありませんし、訴えの利益があれば、訴訟となり、このような法律は違憲であるので無効となります。

それでは、基本的人権とはなんでしょうか。憲法11条を参照すると、この人権は憲法で保障される権利は、天賦人権論的思想に基づいて、つまり、自然権的思想に基づきます。

自然権的思想を簡単に言えば、文章として条文化されていなくでも。私たちの周りにある空気や、ブラックマターのようなものだと考え、権利を主張します。

この様な自然権的思想によるのが、英米法に近いものがあります。英米法は、ジャンルとしては、「不文法主義」あるいは「成文法主義であるとは言えない」と振り分けられます。アメリカ合衆国は判例の集積により裁判がなされますが、合衆国憲法や州法などの成文法も混ざっています。なので、「不文法主義」であるとは断定できないのです。

 これで前置きは終わりにして、「タバコ」の問題について、憲法から考えてみましょう。

 憲法第11条では、基本的人権の尊重を定めておりますが、反面、憲法12条では、国民にも責任と権利の濫用の防止規定があります。

また、包括的基本権と呼ばれる憲法第13条では、幸福を追求する権利を公共の福祉に反しない限りは、立法その他国政の上で、最大の尊重を定めています。

それでは、「喫煙兼」や「嫌煙権」を憲法上の庇護下にあるのでしょうか。

いつでも、どこでも煙草を吸う権利は、憲法上保障はされていません。禁煙権も同様です。

しかしながら、明文で禁止もされていません。憲法解釈には、司法府は、できる限り、憲法判断に消極的です。

あえて、憲法判断をしなくてはならないような場合を除いては、司法府は「合憲限定解釈」を取り、その裁判の請求(原告の訴え)において、憲法判断をしなくても問題を解決をできる場合には、違憲性については、敢えて判断をしません。これは、立法府を尊重してのことでしょうか。

日本は小学生でも知っている三権分立国家ですから、立法府、行政府、立法府は互いに互いを尊重して運用されてますね。

憲法第41条では「国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である」と定められていますが、これは、皆さんご存知の通り、「政治的美称説」であると解釈されています。

「政治的美称説」では、対外的関係において、立法府である国会に権威づけを行い、外交をうまくやろうというものです。国会が作るのは法律ですから、国民を拘束するので、国民をしっかりとガバナンスできる能力があり、国家たる独立的主権性を外(外国)に見せて、外交を上手くやろうというのも伺えます。

以上のように、三権分立国家の日本は、立法、行政、司法は三竦みの関係で、パノプティコンの囚人のように、互いの権力を誇示。行使し、権力の分立を行うことでバランスを取って国家運営をおこなっているというのは、小学生で習うことですね。

喫煙者が、禁煙車よりも多数派になったので、憲法第11条で基本的人権で保障する基本的人権に制約を加える憲法第12条の自由・権利の行使の国民の責任とその濫用の禁止で少し押さえつけています。これは、憲法第13条の規定に「公共の福祉」よりも弱い制約ですが、憲法第13条の「包括的基本権」を「公共の福祉」で制限を加えてるとはいえ、自ずから「公共の福祉」にも沢山の学説がありますので、このブログ内の過去の記事から探してみて下さい。

私は公共の福祉は、「人権と人権の衝突の緩衝機構」であると説明してますが、もう少し簡単に言えば、「国民は平等に人権を有しているので、それが衝突することもあるでしょう。そんなときに、お互いの権利を調整する」と言えます。

ACの広告で、相田みつをの詩を引用してこのことをわかりやすくしてました。

以下ACの広告と相田みつをさんの詩を引用します。

「セトモノとセトモノ。ぶつかりっこするとすぐこわれちょう。どっちかがやわらかければ大丈夫。やわらかいこころをもちましょう。そういうわたしはいつもセトモノ。」

以上が相田みつをさんの作品です。

「公共の福祉」の本質はこれです。

足の不自由な方がいらっしゃったら、「お荷物をお持ちしましょうか。」とか「エレベーターに乗るときに、他の人が乗りやすいように、エレベーターのドアを押さえてあげたり、降りるときは開閉ボタンを押して、足の不自由な方を先に下してあげる」

「そんな小さな配慮をしようよ」というのが、「公共の福祉」の本質であるのです。

さてさて、喫煙についてですが、私は「今は」喫煙家ですが、「40半ば」には辞めるつもりです。実は私の母も昔は煙草をすっていて、ちょうど40半ばで検査したところ、医師にこのまま煙草を吸い続けたら肺気腫になると告げられてやめたのですから、私も辞められるでしょう。

希望的観測ですけどね。

今日はブログ、結構長いと思いませんか?

金曜日だからです。

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