日本国憲法を考える上での大日本帝国憲法 (やわらか基礎編)
- 行政書士 森 政敏
- 2016年2月27日
- 読了時間: 5分
ちょっと、今日は、ちょっと、画像にリンクを張るのではなくて、YouTubeの動画を埋め込んでみました。
この動画はゆったりしているので、記事にも集中できて良いのかなと思い、張りました。もし良かったら再生してみてください。
この歌を歌っているのは、夭逝のシンガーソングライターの岡崎 律子 さんです。
彼女は、確か、スキルス性の胃がんか何かで亡くなったのだと思いますが、かなりの衝撃でした。
歌っている歌は、「For フルーツバスケット」で、NHKのアニメ向けに作られた歌だったと思います。彼女の声がとても素敵です。
憲法のはなしもしないで、何を書いているのかと突っ込まれそうですが、実は私の母も難病で、厚生労働省認定の特定疾患です。なので、彼女の境遇がすごくわかります。
生きている人は、しっかりと最後まで生きて、生きて。
ということで、本題に入りたいと思います。ちょっと、基礎的で、やらわか日本語で文章を書きますので、何卒ご容赦いただきたいと存じ申し上げます。
20代の若さゆえの過ちですね・・・。 早く、しっかりとした行政書士になります。
以前の記事の中で、ちょっと他国の憲法の形と日本国憲法の形を比較して、どんな点が日本国憲法に顕著な特徴なのかについて書きましたね。
今回もそれに近いもので、「他の憲法」と比較します。それは他「国」だけではなく、日本の過去の「自国」の旧法であったりもします。
日本国憲法の特徴をつかむためには、他の憲法を参照することが手段として用いられます。
世界中の憲法を見たときに、日本国憲法の特異性は、天皇条項が人権条項よりも先に定められていることです。当然、日本国憲法には前文と呼ばれるものがありますが、その前文の後には、第一条で、天皇の地位が定められています。小学校、中学校、高校でもよく耳にする条文です。読者の皆さんの中には、すらすらと条文をいえる人もいるのではないでしょうか。
それでは、日本国憲法第一条を引用します。
第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
どうでしょうか? 言われてみればどこかで聞いたことのある条文ですね。実は、日本国憲法第一条は、天皇の地位を明確にすることで、反面、主権者が国民であることを引き立てた条文です。
それでは、ここで質問します。日本国憲法は、大日本帝国憲法を改正して(後に「改正」について論じます。)大きくその条文の枝ぶりを変えておりますが、大日本国憲法下の主権者は誰でしょうか?
ちなみに、大日本帝国憲法は、現在の日本国憲法のひとつ前の憲法で、これまでの日本では、このような近代立憲主義的意味における憲法はありませんでした。
質問のヒントは、主権者は、「朕」です。現在の言葉では誰でしょうか?
答えは、主権者は「天皇」です。大日本帝国憲法下では、「天皇主権」であったわけです。
それでは、「国民」については、どのように記述しているでしょうか?人権はどうあったのでしょうか?
大日本帝国憲法下では、「国民」は「日本臣民」とされており、臣民の権利義務の定めもありました。
大日本帝国憲法は、現在では効力がないので、日本国憲法とは一線を画し、一つの法制史の話として読んでくだされば幸いですが、大日本帝国憲法では、
「臣民」の権利義務として、第20条で、「兵役の義務を有す」とし、兵役の義務がありました。意外と思われると思いますが、次のような人権条項もありました。
第24条
日本臣民は法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権利を奪わる、ことはナシ。
第26条
日本臣民は法律に定めたる場合を除く外信書の秘密を侵さる、ことはナシ。
第28条
日本臣民は安寧秩序を妨げず及臣民たるの義務に背かざる限りにおいては信教の自由を有す。
などなど、以上のように、これらのほかにも、「法律の留保」のついた自由権も大日本帝国憲法で認められていたのです。
ちなみに、「法律による留保」とは、「その方内容がいかなるものであっても、法律の形式をとっているのであれば、それは間違えなく法律であり、それに従わなくてはならない。」というもので、「悪法もまた法なり」と言った格言でも有名で、どんな法律でも形式が法律なら従わざるを得ないというのです。
これが、一点、憲法を考える上で大切な点で、ドイツ国も日本同様に、「法律による留保」のついた制度を導入していました。
これにより、権力の濫用、権利の一極集中化、三権分立などによる国家権力同士の、相互監視システムの崩壊に導き、大変な人権侵害が行われたわけです。
たまには大日本帝国憲法を参照して、現在の憲法との違い、そして、そこから、将来の憲法の在り方に思いを馳せたいわけです。同じ失敗をしないようにするために、過去から学び、将来を築いていく。
改憲論者ではありませんが、私は、人権条項については、一定の程度で、例えば、現在でも最高裁判所が13条やら21条を根拠にして「憲法の庇護の下にある」としている「新たな人権」くらいなら成文化しても構わないと思います。
ただ、「人権は、人権を阻害するもの」なのです。「膨張する人権」は、その本質を失い、芦部先生ではありませんが、いわば、「膨張する人権現象」が生じれば、「人権が、人権の自己の存立基盤を侵し、そこで繰り広げられるのは、人権の自殺行為」であるとも考えられます。
今後、「改憲」についても、多角的視点で、記事を書きたいと思います。
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