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憲法記念日と改憲への胸の騒めき(世論調査を受け)

  • 2016年5月5日
  • 読了時間: 3分

狭山で相続,遺言,法務なら森法務行政書士事務所

 昨日、5月3日は「憲法記念日」でしたね。本来であれば昨日のうちに記事にしておくべきであったのですが、あえてズラしました。

 嘘です。本当はついうっかりと憲法やら憲法草案やらを読んでいたら、それだけでお腹いっぱい状態になってしまったのです。

いけませんね。国民投票法も成立し、選挙権も18歳から与えられるようになったのだから、高校生に示しがつきません。

 弁護士、司法書士、行政書士の先生方は、プロボノ活動といって、法律(法)についての啓もう活動を行っています。これらの先生方を見習わなくてはなりません。

 そこで、私も、ここで、記事を書きます。近年憲法改正熱が高まっているのを肌で感じます。

 これは、私だけが感じているものではないと思います。実際に、世論調査を見ると、昔と比べて、改正反対派は少なくなり、改正賛成派は、増えています。

 これが、私をざわつかせるのです。私は憲法改正について、現在において各政党が示す憲法草案では、改正には同意できませんが、頑固になって、そう意固地になって反対だと言っているのではありません。

 私は、憲法は、「硬性憲法」であるべきであると思うし、「個人」は「個人」として最大限の尊重されるべきであると思います。「人」としてではなく、「個人」としてです。

 民主主義と自由主義の国家像は維持してもらいたいのです。その意味で、ただ単に「人」として尊重されるのでは、「個が没却されてしまう。」という危惧があります。

 自由主義は、「個性」が失われてはならない。また、近代立憲主義的憲法において常識である、国民の「人権」は生まれながらにして享受するもので、国から与えられるものではなく、国はこの憲法に拘束され、国民は憲法に拘束された国によって作られた、法律に拘束されるものです。

 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」という、日本国憲法第12条の文言は、あくまで、自由と権利を享受する主体として、受益するために、利益を得るために、「努力して、保持する。」のであって、債務や義務を国民に課して、「国民の自由と権利」を奪うことを意味しているのではない。

 このことは、日本国憲法第99条の憲法尊重擁護の義務の規定、すなわち、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」という条文が、第12条とは別に定められている点で、憲法は、両者をはっきりと区別しなくてはならないことを示唆していて、憲法第12条の規定と第99条の規定とを同じものとして語ることはできません。

 ある政党の憲法改正草案では、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」としていて、しかも、同条の二項として、「公務員などの憲法擁護義務」を規定しています。

 両者を同じ条文にまとめて、「憲法尊重擁護義務」とひとくくりにし、近代立憲主義的憲法の根幹を揺るがすような、酔っ払いの書いたような条文を作っています。

 まだまだ、沢山悪い点はありますが、良い点がないわけでもありません。その点はしっかりと評価し、今後、将来憲法が改正される際の検討材料とすべきであると思います。

 最後に、一点付記するのが、憲法の改正にも限界があると私は考えます。芦部信者ではありませんが、民主主義や自由主義まで失うような改憲は嫌ですね。

 現在の日本国憲法を定めた権力である、憲法制定権力(制憲権)は、改正権をこの憲法のうちに定め制憲権≒改正権として制度化していて、改正権は自己を否定するような憲法改正はできない。

今日は、Wi-Fiの速度が遅くて、こうやってタイピングしていても20文字くらい打った後に画面上に情報が反映されるので、この辺にしておきます。

 
 
 

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